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【SR Forever】(その9)

(前回からの続き)

 

 

「これが俺のSRかぁ。思った以上にキレイだな」

 

前もって父親から聞いていた話では、以前のオーナーは4、50代の人で

SRの他にも何台かバイクを所有しており、「400ccの単気筒は

面白そうだ。と思ったら案外スムーズで、乗り易過ぎて飽きてしまった」

とのことでした。

 

「なるほど、それくらいの年代の方が乗っていたから程度が良いんだな」

 

当時からSRは、カスタムパーツがいくつか出ており、中でもマフラーは

『トライアンフタイプ』か『キャブトン』マフラーに換えている人がいました。

幸い、自分が所有することになったこのSRは、全くのフルノーマル。

新車は買えなかったものの、新車時の状態を維持していたことが嬉しく感じました。

 

「あれ?走行距離は4800kmぐらい。って言ってたけど、5800kmだぞ。

父さん、間違えたのかな??」

 

自分が電話で聞いた走行距離より千kmぐらい増えてましたが、元の持ち主が

手放す前にツーリングに使ったのかもしれません。

 

「ま、いいや。早く乗りたいなぁ」

 

そんな気持ちが先走り、手にしていた漫画をおもむろに地面に置き、

センタースタンドを降して車体を少し後ろに下げ、サイドスタンドで立て直しました。

そのまま右足を振り上げ、シートに跨り、両手でハンドルを握りました。

 

「うん。こんな感じのポジションだった」

 

RのSRに乗らせてもらった日の記憶が甦り、「早くエンジンを掛けたい。乗りたい」

という衝動が湧き上がりました。

 

すると、物音に気付いたのか、ベランダの網戸が開き、母親の顔が見えました。

 

「あら、まっちゃん。帰って来てたの??」

 

「あ、母さん、ただいま。今来たところ。相変わらず甲府は暑いね」

 

返事はしたものの、車上の自分は、『心ここにあらず』だったと思います。

 

「母さん、バイクの鍵はある?」

 

「いつもの玄関の所にあるんじゃない?帰って来たばかりなんだから

 まず家に入りなさい」

 

「うん、今入るよ。そう言えば腹が減ったなぁ…」

 

八王子で中央線に乗り換える時、漫画と一緒にキオスクで菓子パンを1つだけ買い、

漫画を読みながら食べたのですが、食べ盛りの大学生にはホンの一時凌ぎで、

空腹だったことを思い出しました。

 

「そうめんでも茹でようか。さ、早く入りなさい」

 

ずっと会いたかった彼女に会い、とりあえず満足したので次は空腹を満たすことを

優先することにしました。

 

 

 

「ごちそうさまでした。じゃ、ちょっと乗ってくるよ」

 

「気を付けて行って来るのよ」

 

母親が用意してくれた遅い昼飯を平らげ、腹も満たされたところでいよいよSRの

初乗りに行くことにしました。

今は1つ下の弟が使っている離れの部屋のドアを開け、3月まで自分が使っていた

場所の隅にポツンと置き去りにしていた、白いアライのフルフェイスと、

その中に押し込んだままのグローブを持ち出しました。

 

「メット被るのは久し振りだな…うッ、ちょっとカビ臭いな」

 

5月の中旬に2年近く借りていたKHを持ち主へ返す時に使ったのを最後に、

ずっとそこに置きっ放しにしていたのです。

当時は、原付に乗る時はノーヘルでもOKだったため、茅ヶ崎のアパートには

このヘルメットを持って行かなかったのでした。

 

「なんかグローブも硬くなってるぞ…まぁ、手入れは後でしよう」

 

早く乗りたい気持ちを優先するため、道具の手入れは後回しです。

庭に並んでるバイクの間をすり抜け、SRの傍らに立ちました。

 

「改めて初めまして。俺が君の新しい持ち主だよ。これからよろしくな」

 

正確には、所有者・使用者共に父親の名義ですが、実質的に自分が

使うことになるので、初対面のSRにはそう挨拶をしておきました。

玄関入り口に掛けてあった、無数の鍵の中から【YAMAHA】の刻印が入ったキーを

探し出し、ジーンズのポケットの中からそれを引っ張り出して、

メインキーのスイッチをONにしました。

 

「おぉ、いいねぇ。えーっと、エンジンを掛けるのはどうやるんだっけ。

 そうだ、まずはセンスタにしないと…」

 

 

大学の友人、Rに教えてもらった通り、まずはセンスタに掛け直し、

ガソリンコックの位置がONになっていることを確認。

次にチョークレバーを押し下げて、ステップに立ちました。

 

「えぇーっと、キックをゆっくり足で下げて…うぉ、重い。

 で、この小さい窓に『ツメ』が見える所までキックを下げて…

 そこでこのレバーを握るんだな?あれ??握ったまま踏むんだっけ?

 いや、放していいんだ。次は思いっ切り踏むッ!」

 

自分の全体重を右足に乗せて、キックを踏み降ろしましたが、エンジンは

“ボスッ、”と言っただけで掛かりません。

 

「あれっ?掛からねぇ。ま、RのSRの時も1発じゃ掛けられなかったしな」

 

気を取り直し、同じ手順を踏み、もう一度キック。

しかし、エンジンは目を覚ましませんでした。

 

「えぇ、なんでだ?あ、そうだそういう時はコックをONじゃなく、

 『PRI』にするんだっけ」

 

通常、キャブレターにガソリンが充分入っていれば、『ON』の位置でも

良いのですが、しばらく乗らないでいるうちにキャブレターに溜まっている

ガソリンが蒸発すると、ONの位置だとタンクからキャブへ新しいガソリンが

流れて来るまで時間が掛かり、なかなかエンジンが掛からないことがあります。

たぶん、自分が帰ってくる2~3日前にもオヤジが乗ったと思うのですが、

甲府の連日の暑さで、ガソリンが蒸発してキャブのガソリンが減っている可能性も

考えられたので、コックを『PRI』に切り替えました。

 

「よし、これでどうだ。さぁ、目を覚ましてくれよ」

 

最初と同じようにキックアームを下げ、重くなった所(上死点付近)を

足裏に伝わる感触とシリンダーヘッド右側にある『点検窓』でツメが

見えて来たか?を確認。

クラッチレバー下にある、自転車のブレーキレバーのようなデコンプレバーを

握って放して、もう一度キックアームを戻して、渾身の力を右足に込め、

キックアームを踏み降ろしました。

 

“ズバババババァァァァーーーンンッ、”

 

眠っていたSRのマフラーから、夕方が近付いた気だるい空気を切り裂くような

排気音が弾き出されました。

 

「やった!掛かったぞ!!」

 

たった3回のキックの間でしたが、すでに自分の額からは汗が流れてました。

 

“ドァァァァァァーーーッッ、ダッ、ダッ、ダッ、ダッ…ボフッ、”

 

エンジンが掛かった!喜んで、すぐにチョークを戻したら、あっさりエンスト。

『新しい彼女』は、すぐには自分の言うことを聞いてくれませんでした。

 

「しまった。チョークを戻すのが早かった。またキック踏むのか…」

 

ハッキリ言ってこの時は、SRのエンジン始動の儀式、キックのコツがまだ

全然掴めておらず、「セルスタートだったらどんなに楽か」と思ったのでした。

 

同じ手順を繰り返し、2回目のエンジン始動。

今度はチョークを長めに引いて、Rがやっていたのと同じようにシリンダーフィンを

手で触って、充分熱が感じられるまで暖気運転をしました。

 

“トフッ、トフッ、トフッ…”

 

「よし、もう暖まっただろう。さて、行くか」

 

タコメーターの針がRのSRより少し低い1050rpmで大人しく落ち着いたのを

確認して、ヘルメットをかぶり、グローブをはめました。

 

「では、よろしくSR」

 

ヘルメットの中でそう呟いてクラッチを切り、ギアをローに踏み込みました。

 

(その10へ続く)