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【SR Forever】(その1)

SRを手に入れ、乗り始めてまだ間もない頃の貴重なフルノーマル状態。(1981年秋・八ヶ岳横断道路にて)
SRを手に入れ、乗り始めてまだ間もない頃の貴重なフルノーマル状態。(1981年秋・八ヶ岳横断道路にて)

【SR Forever】(その1)

 

 

 

今までもあちこちで書いていることですので、すでにご存じの方も多いと思いますが、

初めてこのHPをご覧になる方もいるかもしれませんので、改めて自分と

稀代のヤマハの名車、SRの関わりについて書いてみます。

 

それは大学1年の頃まで遡ります。

当時18歳だった自分は、オヤジの知り合いの方から長期間借りていた

『カワサキ・KH250(B3型)』に乗っていました。

同級生でバイクを通して仲良くなった何人かの友人の中に『R』という

ヤツがいました。

彼と自分は全く性格が違いますが、所謂“ウマが合う”という感じで、

とりわけバイクの話では、共通する話題が尽きませんでした。

 

当時Rは『ホンダ・ホークⅡ』というバイクに乗っていましたが、

訳あって廃車になり、次のバイクを物色していたのです。

また同じ頃、自分も2年近く借りて乗っていたKHを元の持ち主に

返さなければいけなくなり、2人とも手元に残ったのは奇しくも同じ

スズキの50ccミニバイクだったのです。

 

 

「よぉ、太田。お前次のバイク、何にするんだ?」

 

明りを落としたアパートの部屋でタバコをふかしながら、おもむろにRが聞いてきました。

 

「あぁ?まだ決めてねぇよ。金もないし」

 

「そっか。俺は乗りたいバイクが決まったぜ」

 

ニヤッと笑いながらRはタバコを灰皿にもみ消し、自分の問い掛けを待ってます。

 

「ん?何に乗るんだ??」

 

「SR。ヤマハの単気筒だ」

 

「SR!?ほんとかよ??」

 

あまりに予想外の答えで、思わず聞き返しました。

というのもSRと言えば、高性能なバイクが台頭し始めた、70年代後半

(正確には1978年4月)に発売されたのですが、当時から変哲のない

スタイルと時代遅れなスペックで、正直当時の自分には全く魅力も興味も

無かったバイクだったのでした。

 

「何でまたSRなんだよ」

 

「ん?単気筒(バイク)は、コーナーが速ぇんだよ」

 

確かにパワーがあるバイクは直線の加速は速いのですが、重量がある分

減速も早めに行う必要があり、遠心力と戦うコーナリングは不利になります。

その点、パワーはなくとも車重が軽く、バンク角を深く取れる単気筒は、

直線でのハンデをコーナーで返すことが出来ます。(もちろん腕次第ですが)

 

「そうか、SRねぇ…俺は何にしようかな」

 

カワサキの3気筒に乗っていたから。というわけではないのですが、

当時の自分は今とは全く違う“多気筒エンジン好き”でした。

まだ免許すら持っていない、中学3年の頃は、すでに生産中止になった

『ホンダCB350Four』に憧れていたり、ちょうどこの年の5月に

ヤマハから発売された『XJ400D』(4本マフラー)に密かに

惹かれていたのでした。

しかし、仕送りとアルバイトでどうにか生活をしていた自分にとっては、

それを新車で買うなんて到底無理な話でした。(当時の新車価格45万2千円)

 

 

それから数日後、授業を終えてRのアパートへ行くと、エントランスの上に

始まったばかりの眩しい夏の光を跳ね返しながら、キャストホイールを履いた

真新しい赤いSRが佇んでいました。

 

「キャストホイールの方を買ったのか。うーん、なかなかカッコ良いな」

 

それまでほとんど感心を持っていなかったSRを改めて見ると、

スリムで端正なスタイルと、深い空冷フィンを備えた存在感のあるエンジン、

そして緩やかにRを描きながら力強く後方へ伸びるメッキマフラーが

醸し出す、スタンダードなオートバイのフォルムを視覚に訴えてきました。

 

「スポークホイールの方がSRらしいけど、これからはキャストだな。

 チューブレスタイヤが主流になるし、もうパンクして押すのは懲り懲りだ」

 

以前、借りていたKHでツーリングの途中、リアタイヤが釘を踏んでパンク。

汗だくになり、息を切らしながら延々押した記憶が甦りました。

タバコを吸いながらRが買ったSRを眺めていると、別な授業を終えた本人が

住処に帰ってきました。

(その2へ続く)